がん治療の道しるべ:患者視点で考えるがんゲノム医療
Vol.2 誰でも選択できる医療にするには?
このシリーズでは「がんゲノム医療」について「治療薬探索のための遺伝子プロファイリング検査に基づく医療」と定義します。
患者が最適だと考える情報提供のタイミングは?
実施対象となった時点ではなく早期から治療情報を提供してほしい
──第1回では、患者さんのがんゲノム医療に対する期待は高いものの、その認知が十分に進んでいない現状や、治療を必要とする人に情報が届いていない問題などが指摘されました。第2回では、がんゲノム医療の普及に向けた課題についてさらに話し合っていきたいと思います。
長谷川 肺がんの分野においては、がん遺伝子パネル検査を実施できるタイミングを変更してもらうことが解決しなければならない最重要課題であると考えています。標準治療を終えた時点で多くの患者さんが亡くなっているのに、がん遺伝子パネル検査を受けられるのが「標準治療が終わってから」では遅いように思います。患者さんが治療を望めば早期の段階からがんゲノム医療を受けられるようにすることを強く要望していきたいです。
浜田 「標準治療が終わってから」という条件は私たち希少がんにとっても厳しいものです。ACC(腺様嚢胞がん)の薬物治療では、「標準治療が終わった」タイミングをいつとするのか医師にも判断が難しいと感じています。というのも、私のように肺にがんが転移しているものの、効果がわからない薬物治療は実施せず、経過観察という人も少なくないからです。
手術や放射線治療が終わったとき、「もし、がんが残っていたら、転移してしまったら」と考えると本当に怖かったです。治療薬がないことを知っていたので、転移してしまったら死を待つのみだと。しかし、その先にまだ選べる治療法があることがわかると、心の持ち方がずいぶん違ってきます。精神的サポートの面からも医療関係者(とくに医師)には、がんゲノム医療の実施対象となった時点で情報を提供するのではなく、治療の早い段階から提示していただくことを望みたいです。
長谷川 当団体が実施したがんゲノム医療に関する実態調査でも、主治医からがん遺伝子パネル検査の説明をされたのは3割にも満たないことがわかっています(図参照)。この傾向は施設の規模や特徴によって大きな差はみられず、がんセンターや大学病院にかかっていても説明された患者さんは少なかったです。この調査結果は、がん遺伝子パネル検査の対象者に限定したものではありませんが、この点を差し引いたとしても、がん遺伝子パネル検査が必要な患者さんに適切なタイミングで情報提供が行われているのか。今も不安に思っていることなので、浜田さんのご意見には同意します。
楠木 がんゲノム医療の恩恵を受けられるような状況に至っていない小児がんでは、患児の保護者に標準治療の説明をするときは、これがベストの治療であるとお伝えしています。しかし、肺がんの場合は患者さんによっては標準治療よりもがんゲノム医療のほうが予後のよい可能性がありそうですね。がんゲノム医療にかぎらず、がん医療全体において必要とする人に適切なタイミングでベストな治療を提供できる診療体制にしないと、標準治療は"並の医療"で、がんゲノム医療は"お金がある人だけができる医療"と誤解する患者さんも出てきそうです。
図 がん遺伝子パネル検査に関する説明状況と患者の評価
普及に伴って増えていく検査費用は誰が負担するのか
より低コストで検査が行えるよう医療技術の革新にも期待したい
長谷川 がんゲノム医療を受けられる機会は均等であってほしい、早期の段階から遺伝子パネル検査を選択できるようにしてほしいと願う一方で、私たち患者は費用についても考えていかなければなりません。先日、米国臨床腫瘍学会で、3年間で2000万円ほどの費用がかかるある治療薬について再発防止効果があることが発表されました。この治療薬を使えば再発は防げますが、それに対し2000万円を使うのかということが患者自身に問われているようにも思います。このような医療費の使い方を続けていくと、次世代の医療を崩壊させてしまうおそれがあるからです。がんゲノム医療は推進していただきたいのですが、治療薬を含めるとその費用は高額となるため、医療経済面では悩ましい問題です。
浜田 そうですね。がん遺伝子パネル検査の費用も決して安価ではなく、数十万円になることもありますから。標準治療がない人または終わった人は健康保険の適用となる一方で、それ以外の人がこの検査を希望する場合は自己負担となる仕組みのままでは大勢の患者さんが実施する状況にはなりにくいです。がんゲノム医療の受療条件が緩和されると、データが多く集まり、研究も進むことが期待されますが、医療財政を考えると制限せざるを得ない。検査費用を誰が負担するのか。普及に向けて話し合わなければならない課題の一つです。
楠木 誰もが最善の医療を受けられる日本の医療制度を守るためにも社会全体で医療費について真剣に考えなくてはならない状況になってきていると思います。より低コストでがん遺伝子パネル検査が行えるよう技術革新にも期待したいです。
治療施設へのアクセスと質のバランスをどう図るか
実施病院の集約化が進まなければ精度の高いデータを集められない
──実施のタイミング、費用負担の問題のほか、残されている課題はありますか。
長谷川 がんゲノム医療に対する患者さんの期待は高い一方、現行の健康保険制度のもとでは標準治療を受けてからでないとがん遺伝子パネル検査ができません。肺がんの場合、標準治療を終えるまでに多くの人が亡くなっており、その人たちはこの検査を受ける機会を逸しているといっていいでしょう。検査を受ける機会は平等であることが望ましいので、誰でも希望すれば初回治療からがん遺伝子パネル検査を受けられるよう制度変更してほしいです。
また、がんゲノム医療の治療環境も整備途上の段階です。がん遺伝子パネル検査を実施できる病院は限定されているほか、この検査を活用した治験があることがわかっていても、地域によってはその治験に参加している病院がないこともあります。
浜田 がんゲノム医療を実施できる施設が限られていることも課題であると考えています。現状では、がんゲノム医療中核拠点病院、がんゲノム医療拠点病院、がんゲノム医療連携病院を合わせても全国に225か所(2021年4月1日現在)しかなく、肺がんのように患者数が多いと、これ以外の病院で治療を受けている患者さんはがんゲノム医療を受けられないのではないか、必要な情報が提供されないのではないかといった疑問も生じます。
楠木 自分の病院でがん遺伝子パネル検査が実施できない場合は、病理の検体を別の病院に送らねばならず、書類作成などの業務量が増えていると聞きます。患者さんが期待するスピード感に医療現場が対応しきれない問題も出てきているようなので、忙しい医師が検体を送る手続きをするのではなく、病院のシステムの中に組み込んでいく方法がよいと思います。
小児がん拠点病院は全国に15か所(2021年4月1日現在)で、集約化とセンター化が進み、検体も1か所に集めて調べるようになってきています。成人の場合も地域ごとに集約化とセンター化を進めることでスピード感の問題は解決するかもしれません。できるだけ自宅に近い病院で治療を受けたいと望む患者さんも少なくないですが、がんゲノム医療の場合は、病院の集約化が進まなければ精度の高いデータを集めることにも影響があると思います。検体を採取する技術の質にばらつきが出ることでデータの正確性に欠け、症例数が集まらなければ薬の使い方や副作用の対処法も蓄積されていかないでしょう。
浜田 専門スタッフの確保とコストを考えれば、すべての病院にがんゲノム医療を実施できる環境を整備するのは難しいと思います。しかし、どの病院にかかっていても必要とするときに容易にアクセスできることが大切です。そのためには、がんゲノム医療を実施していない病院の診察室でもこの医療について医師と会話ができるような環境を整えることが重要です。
遺伝子の変異が見つかったがん患者の人権をどう守るか
がんの遺伝子検査を受けた患者が不利益を被らないよう法整備も必要
──がんゲノム医療では、生殖細胞系の遺伝子変異が見つかることもあります。この問題について小児の領域では、どのような懸念がありますか。
楠木 子どもががんになると、親は「元気に産んであげられなかったから」と自分を責めてしまうことに加え、周りから「がん家系」といわれることで家族や親族全体の問題に発展することがあります。しかし、小児がんは約1万人に1人の確率で発生し、それはどこの国でも変わらない事実です。私たちは社会的差別をなくすために「どの子が小児がんに罹患してもおかしくないし、遺伝とは関係がない」ことを啓発し続けています。
一方で、がんゲノム医療の発展に伴い、将来がんになる可能性の高い遺伝子があることもわかってきました。その場合はカウンセリングが必要ですが、非常にデリケートな問題です。遺伝子の変異は誰にでも起こりうる事象であるにもかかわらず、社会の中に「自分だけは大丈夫」と思いたい風潮があることも懸念します。一般の人々は、科学の力で原因らしきものがわかったときに、その遺伝子を持つ人を「あなたは可哀想な人」だとレッテルを貼り、自分との間に線引きをします。その結果、分断が生じてしまうのです。このテーマを話題にするときは「遺伝子の変異は誰にでも起こりうる事象である」ことをまず理解していただく必要があります。
長谷川 米国では、がんになるリスクが高い遺伝子を持っていることがわかっても、民間保険に加入できないなどの不利益を被らないように法律が整備されています。日本でも法整備を求めて、がん患者団体の連合体が活動を展開しており、1日も早く法整備されることを期待したいです。しかし、楠木先生が指摘されるように、分断を生んでしまうような人々の意識が社会の根底にあるのならば、法律だけを整えても意味がないかもしれません。私たち患者団体が情報発信や啓発活動に取り組む際には、こうした視点や配慮も必要だと感じました。
──ありがとうございました。皆さんのお話からさまざまな課題があることがわかりました。第3回となる最終回では課題の解決に向けて患者さんや患者団体が取り組めることについて話し合っていきます。