がん治療の道しるべ:患者視点で考えるがんゲノム医療
Vol.1 がんゲノム医療 現状の認識と期待
このシリーズでは「がんゲノム医療」について「治療薬探索のための遺伝子プロファイリング検査に基づく医療」と定義します。
近年、「個別化医療」「がんゲノム医療」といったキーワードががん患者さんやご家族の耳にも届くようになりました。2019年6月には、標準治療がない・または終了した場合を対象に次の薬物治療を探索するためのがん遺伝子パネル検査(プロファイリング検査)が健康保険の適用となり、国ではがんゲノム医療に関する診療体制の整備を進めています。しかしながら、患者さんをはじめ一般市民にはがん遺伝子パネル検査に関する正確な情報が十分に届いておらず、この検査を希望する患者さんも容易にアクセスできるとは言い難い状況です。そこで、がんゲノム医療が誰でも必要に応じて選択できる医療となるようどのような仕組みづくりや対応が求められているのか、3回シリーズで患者支援団体を運営する患者さんや支援者の方々にご意見を伺います。
患者調査からみえてきたがんゲノム医療への認知度
がんゲノム医療への期待は大きいが患者さんの認知は十分に進んでいない
患者さんやそのご家族への情報提供が不十分で治療の機会損失につながっている可能性も
──国が主導し、各地にがんゲノム医療中核拠点病院(12か所※)、がんゲノム医療拠点病院(33か所※)、がんゲノム医療連携病院(180か所※)が設置され、がんゲノム医療に関する診療体制の整備が進められています。それぞれの疾患の特性を踏まえたうえで皆さんが感じていらっしゃるがんゲノム医療の現状についてお聞かせください。(※2021年4月1日現在)
長谷川 肺がん領域では、ほかのがん種よりも個別の遺伝子変異に対応する薬剤が多く開発されています。例えば、がんの原因となるドライバー遺伝子は複数わかっており、これに対する治療薬もすでに保険適用になっているものが多くあります。また、これらの薬剤への耐性が起こっても新たな治療薬が存在します。肺がんの死亡率は国内トップで難治性がんであることに間違いないものの、遺伝子変異が見つかり治療薬にたどり着けると、予後がまったく違ってきます。つまり、がんゲノム医療の恩恵を非常に受けている分野で、患者さんたちの期待も大きいです。今期から委員を拝命しているがん対策推進協議会で検討されているがん対策基本計画においてもがんゲノム医療は最重要課題に位置づけられており、国を挙げて注力していることが伝わってきます。なかでも臓器横断的に治験が進められていることには、とても期待しています。
浜田 私が患う希少がん(ACC:腺様嚢胞がん)には現状で有効な薬剤はなく、私のように転移している患者さんは、この先の治療に行き詰まりを感じています。こうした事情から薬物治療への意識は非常に高く、自分に合う治療を見つけられるかもしれないという期待から、がんゲノム医療にも大いに関心があります。ただし、当団体のメンバーに薬物治療に関する意識調査を行ってみるとそれほど知られていないこともわかりました。数年前からメディアでも取り上げられることが多くなり、もっと知られていると予想していたので、この結果は意外でした。
詳しく説明すると、がん遺伝子パネル検査を知っていて検査を受けたことがある人は33%しかおらず、「名前を聞いたことがあるが内容はわからない」と答えた人は33%、「なんの検査かまったくわからない」と答えた人が19%いて、特に罹患したばかりの患者さんは知らない傾向にありました。
長谷川 そうなのです。期待している半面、患者さんへの認知は十分に進んでいません。がんゲノム医療の恩恵を受けている肺がんの患者さんでも、がん遺伝子パネル検査の知識のない人たちが少なからずいることがわかっています。当団体が肺がん患者さんを対象に実施したがん遺伝子パネル検査の実態調査では「この検査を希望するか」という問いに対し 「どちらともいえない」と答えた人が26%いて、その理由を尋ねると「知識がなくてよくわからない」という回答が目立ちました。一方で「がん遺伝子パネル検査の情報を提供されたか」との質問に「提供されていない」と答えた人が64.4%いました。
この調査はステージや組織型を問わずに実施しており、対象者に偏りがみられるものの、これらの結果からがん遺伝子パネル検査に関する情報提供が不十分で、患者さんは検査 を受けるベネフィットとリスクなどについて理解できておらず、それが機会の損失につながっているという実態も浮き彫りになったと思います。
楠木 成人のがんでは期待が大きいのですね。小児がんは7割以上が治るようになったこともあり、がんゲノム医療に関する保護者からの問い合わせはそう多くないです。知らないということもあるのでしょう。完治が難しい3割の小児がんでは、がんゲノム医療の恩恵を受けられる状況には至っていません。この検査の開発は成人を中心に進められているため、小児がんの領域では遅れているように思います。完治を目指す小児がんの特性を踏まえたうえで、がん遺伝子パネル検査で見つかった治療薬の適正使用(小児への投与量、他剤との併用などを含め)などの検証も進んでいくことを期待しています。
図 がんゲノム医療の流れ
がんゲノム医療に対する患者・家族の期待と希望
がんゲノム医療は副作用が少なく、治療効果が高いと患者さんは期待している
──がんゲノム医療について十分に知られていない現状がある中、患者さんやご家族は、この治療に対してどのようなことを期待し、望んでいるのでしょうか。
長谷川 肺がんでは、標準治療として実施されている治療薬に対応した遺伝子変異を調べるコンパニオン診断がすでにあります。この検査と標準治療ができなくなってから実施するがん遺伝子パネル検査との違いを理解している患者さんは限られています。そのため、当団体ではがんゲノム医療は患者さんが知っておくべき医療情報の一つだと考え、基本的な知識を含めて情報を発信しています。
一方で、分子標的薬をはじめとする従来の治療薬には「副作用が多く、治療しないほうが長く生きられるのではないか」というイメージを持つ人も少なからずいます。その反動のせいか「がんゲノム医療=長く生きられて副作用が少ない薬に出会える」と受け止めている患者さんが多いような印象ですし、この点に対する期待を強く感じます。
浜田 抗がん剤の効果がなく、ほかの治療法がない状況の中で、次の一手として主治医からがん遺伝子パネル検査を提案された患者さんから相談を受けた際には、私自身はこの検査の経験はないのですが、「治療に結びつかない場合もあるけれど、よい治療が見つかる場合もあるから期待してもいいのでは」とお話ししています。私たちのように選択肢がそれほどない厳しい治療環境に置かれた患者さんは数少ないチャンスに賭けてみるしかないとも思うからです。先ほど紹介した薬物治療に関する意識調査では「副作用ばかりで効果がない治療はしたくないが、新しい治療で少しでも長く家族とともによい時間を過ごせる治療があればチャレンジしたい」との意見が寄せられています。このコメントに患者さんが薬物治療に対して望んでいることがよく現れていると思います。
患者・家族が感じている がん遺伝子パネル検査の課題
現行のルール下では適切な時期にがん遺伝子パネル検査を受けられないことも
──がん遺伝子パネル検査が健康保険の適用となり、この検査を受ける人が増えていると思いますが、どのような状況なのでしょうか。今、感じていることを教えてください。
長谷川 がんゲノム医療に対する患者さんの期待は高い一方、現行の健康保険制度のもとでは標準治療を受けてからでないとがん遺伝子パネル検査ができません。肺がんの場合、標準治療を終えるまでに多くの人が亡くなっており、その人たちはこの検査を受ける機会を逸しているといっていいでしょう。検査を受ける機会は平等であることが望ましいので、誰でも希望すれば初回治療からがん遺伝子パネル検査を受けられるよう制度変更してほしいです。
また、がんゲノム医療の治療環境も整備途上の段階です。がん遺伝子パネル検査を実施できる病院は限定されているほか、この検査を活用した治験があることがわかっていても、地域によってはその治験に参加している病院がないこともあります。
浜田 繰り返しになりますが、私たちのがんACCでは、薬物治療における標準治療がなく、抗がん剤の効果もないといわれているため、薬物治療を選択しない患者さんもいます。また、ACCはどの段階で「標準治療は終わった」と判断されるのかわからないのです。というのも、進行が遅く、最終の薬物治療までたどり着く人が少ないからです。このようなことから、私たちにも現行の健康保険のルールのもとでがん遺伝子パネル検査を受けられるのかといった不安があります。
楠木 患者さんやご家族にとって主治医からベストなタイミングで「次はがんゲノム医療にしますか。希望するなら、この病院に行けば治療ができますよ」と提案されることが最も望ましい診療体制で安心できるわけですが、健康保険が適用されるようになっても、このような状況にはなっていないですね。一つには遺伝子変異が見つかっても治療薬がないことも多いため、医療者ががん遺伝子パネル検査を提案できないのだと思います。小児がんの場合は、まさにこのような状況にあります。しかし、データが蓄積されることによって小児がん領域でも治療につながる可能性が高まってきますので、小児がんに特化したがん遺伝子パネル検査の体制が整備されることを願っています。
──ありがとうございました。データを蓄積し、次の治療を開発していくためにも、がん遺伝子パネル検査を普及させることが肝心ですが、課題もいろいろありそうです。第2回は、がんゲノム医療の普及に向けた課題について話し合っていきたいと思います。